Acceptance 受け入れること
Acceptance 受け入れること。今朝のRitualのときに浮かびました。
朝のRitual。Ritual を日本語に訳すと、慣習的行事、儀式とかそういう感じになりますが、わたしがいつも行っている朝の習慣はまずはプロテクション。それからハイヤーセルフやガイドとつながります。その後は軽くボディワークを行いその流れでチャクラヒーリングを行ったりTuning Fork(日本語でいうと音叉)でバランスを整えたりします。その後はシンボルを使ってスピリチュアルヒーリングをいくつか行って、はい、すっきりスタート、となります。
朝起きたてにボディワークを行っていますが、最近は更年期のための体の不調があるので、できないポーズが増えています。目眩はなくなりましたが、今度は肩の不調。日常生活にも影響することもあって、自分自身に対してネガティブな気持ちになることもあり、なにより、不調ということでどんよりするのです。
そんなRitualの最中ふとインスピレーションというか、この言葉Acceptanceが浮かびました。条件も理由づけも何もなく、ふわっ、すとん、と、「受け入れる」ということが腑に落ちた瞬間でした。
自分自身の身体を含めてこの世界は、分離の象徴としてのイメージにすぎない、という風に学んできました。『このわたしの身体も分離の象徴としてのイメージにすぎない。寝ている時に見る夢の中のイメージが実体がないのと同じように。だからそもそもの原因、分離の心を癒していくことがなによりも大切なんだな』と。そして自身の不調(更年期に伴う症状いろいろ)にフォーカスをするというより、もうそのまま受け入れようと。認識して、抵抗なく、理由づけも何もなく、そのままを受け入れ、ゆるす。。。すると本質にすっと立ち返ることができます。そんな感じで分離の心、エゴを解体していく、という具合です。フラワーエッセンスを取り入れたり、できる運動をしたり、そんなアクションをおこしつつ。
もともとなにもなかったところから、ふっと分離が生まれ(小さな狂ったアイデアまたは好奇心からともいわれています)そしてその分離の心(エゴの心)がこの世界や私たちの身体もすべて作り出しているという。救いとしてはその分離意識にも正しい心が存在していて、その正しい心が本質と通じている部分のようです。だからできるだけエゴの方ではなく正しい心の方にフォーカスして、本質とともにあるように心がけることもできるのです。エゴの心はあれやこれやとやってきますから、抜かりなく、油断なく。
この世のすべてが分離の心からの生産物であるとすると、よく重要視されるエネルギーというようなものも結局は幻想とうことになります。ですが、この世界にいるように見える間は、こういったものを良きことのために利用し、エゴを解体していく手段として使っていけばよいのではと思っています。フラワーエッセンスを含め、さまざまなヒーリングやセラピーもありますが、それらも魔法であって、幻想の一つにすぎません。矛盾しているようですが、それらを通して、本質を知ることや、エゴの幻想から解き放たれるための手段として利用すればいいのです。わたしたち自身が、おそれなく受け入れられるものを手段として、夢の中で夢の中の手段、方法を通して、癒していくのです。幻想を使って幻想を解体していく、ということです。
そしていつもお伝えするように、本当は何も起こっていないですし(分離は起こっていない!?夢の中で起こっているようにみえるだけ)、本質も変わらずそのままにあります。ですから、安心して、その夢の大元の解体作業を行い、本当のことを思い出していけばよいのではないでしょうか。
Acceptance。なんの条件もなしに、理由づけもなく、ただありのまま受け入れてふわっと消えるがままにしていく。そのチャンスは何度も何度も訪れると思います。そのたびに、エゴのストーリーにはまらずに、正しい心を選び、本質にあることを深く思い出していくのです。
今日の音楽はMax RichterのDream3(In The Midst Of My Life)です。
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