「期待」にまつわる話
11月もすでに半ばになりました。イギリスも少しずつ寒い日が増えてきましたが「はーっ」と吐く息が白くなっているのを見ながら、重ね着をしたり、毛糸の帽子をかぶったり温かいものを頂いたり、ほっこりした冬もいいなあと感じています。どんどん暗くなっていく時期でもありますが、年末に向けてクリスマスの雰囲気も高まって街の中は光でいっぱいになるでしょう。
さて、今日はここのところずっと感じていたこと『期待』にまつわることを書いてみたいと思います。まずは私自身が体験した期待にまつわる三つの例をあげてみます。
ひとつ目は『期待されること』についてです。思い出すのは親との関係においてで、親からのひとこと、ふたこと、または出来事から、なんとなく期待されているな、という感じがありました。期待されていると感じるから、その期待に応えなければいけないという暗黙の了解やプレッシャーもあり、そこから逃げ出したい気持ち(実際にわりと早く自立しました)期待に応えられないという罪悪感、そして、なんで子供に期待するのだろう?と、親に対して怒りみたいなものを感じることもありました。
次に『期待すること』について。学生の時、ある友人に親のことを相談したことがありました。そのとき友人は「期待せんとき」(大阪弁訳:期待しないで)とひとこと。その言葉で、親に対して何かを期待していたことに気づかされました。上に書いたように、親からの期待をひしひしと感じていたとともに、自分自身も親へ何かを期待していたのでした。思い返せば親や家族に対してだけではなく、いろんなことに期待をしてきたように思います。人間関係に、社会に、そして自分自身に。
そして最後に『期待しない、期待しないようにすること』。何かを期待しても、それが叶わないことを経験し、また自分自身に対して期待をしても満足いく結果をだすことができなかったり、期待に応えようとしてもそれができているように思えず、自分を責めるような気持になったり。誰かや、社会に期待をしても、やはり自分が望むような形にはならず残念に思ったり。。。そんなことが人生を辿っていく上で起こると、もう期待するのはやめよう、となりますが、そこには、すべてを明け渡す感じはなく、傷つきたくないから、残念な気持ちになりたくないから、という恐怖が根底にありました。
この『期待』にまつわる三つをぐるっとひとまとめにして一歩離れてみると、どれも結局同じだなと感じるのです。形や現れ方が違っていても根底は同じで、根本の原因も同じ。そう、私の中の癒されていない部分があって、そこが基になって『期待』にまつわるストーリーを作り上げていたのです。『期待』というのは、ほぼ未来のことを思ってのことだと思います。いつかああなったらいいな、こうなったらいいな、でも傷つきたくないから、そういう風に期待するのはやめよう、とか。。。Eckhart Tolle氏の言葉でいうと、過去と未来は『今』がないと存在しない。それほど幻想的で実体のないものだと。実体のないものにフォーカスし、できごとに一喜一憂し、見るべき部分を見ていない。。。フォーカスする部分がずれていたのです。
自分自身でできることは、まず見るべき部分を見る、フォーカスします。その出来事、状況、感情、そして何かや誰かや対象とするものがあれば、すべてをゆるし、ありのままを認識します。See as it is です。私の場合はちょっとしたRitualのように、マスター達に手伝ってもらうイメージをして(結局は自分自身の高次の意識の部分で行っているのですが)まずはしっかり認識して、手放し、最後にまるっと光と入れ替えるようにしています。The Disappearance of the Universeの著者、Gary Renard氏によると、このReplace入れ替えの部分がとても大切なようです。ここまで忘れずに完了します。
意識を持った、と夢をみている私たちには、分離という幻想の中で、苦しみを与えるものがあるように見えています。結局はすべて夢の中の出来事で私たち自身も、宇宙も、意識も夢の中のもの。。。でもその意識を使ってゆるしや手放しを行うので、本質へもどるための手段として感謝して利用すればよいのかと思います。本質、神、源(呼び名はなんでもいいと思います)がただあるだけで、だからGod Is であり I Am 。それを思い出すためにゆるし、手放すプロセスをたどりながら夢から目覚めていきます。
今日のMusicはStarsailerのGood Soulsです。Soul 魂も夢の中での分離の象徴であるといわれますが、それぞれの魂が、個々に学び、いつか分離はなかったと思い出していくのでしょう。大海の海面の小さなさざ波、大きな波が、それでもやはり大海から離れることはなく、同じ海であり、その大元の本質をたずさえている、ということと同じで、それぞれの魂も本質、神から一度もはなれることなく、その本質をたずさえ、ただ現象としてそうなっているというだけ。そして、それは一度も起こっていない。夢なのだから。だから安心して、「ただある」ことができるのです。
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