内なる平安/Inner Peace
何年も前のことです。自分がいつもどうありたいかとじっくり考えてみたことがありました。それで、たどりついた答えは、心からの平安、安心。英語でいうと、Inner Peace。何事にもとらわれることなく、心配なくいつも平安でいたい。この世界においてどうありたい、例えば仕事は?人間関係は?とか、そういったことは一切思い浮かばず、本当に心から望んでいるのは、内なる平安でした。そしてそれは今も変わらず。。。
この世界において、幸せ、という言葉があります。幸せについて考えたこともありました。いろいろ学んでいくうちに、この世界における幸せと、わたしの望む内なる平安とはまったく別の次元のものであるということがわかってきました。この世界における幸せというのは、条件によってはそう(幸せ)にもなるし、そうではない(幸せではない)ものにもなり、そしてそのどちらもが、永遠のものではなく常に変化するもの。わたしたちはそれらに一喜一憂し、喜んだり苦しんだりしているようです。ところが内なる平安というのは、条件によって変わったり、乱れたり、安定したりするものではなく、外側で何が起こっていても、深い深いところで何にも影響されず、すべてを含み超えている。(言葉での表現には無理がありますね。)この世界における幸せという状態ではなくても、内側では平安とともにあることをしっかりと感じている、ということも普通にありえるということです。
あるところまでくると、目に見える世界に対してうんざりしてしまうことがあります。永遠に続くものなどなにもないではないか、と。いつも変化変化で、いい時もあれば悪い時もある、とか、戦争があれば平和があるとか、そういうサイクルだ、とか。こんなところに永遠の平安などあるわけない、と。そしてその通り、この世界には永遠に続くものはありません。それがこの3次元の世界。始まりがあり、変化または終わりが必ずあります。わたしたちの肉体も同じく、生があり死があるというように。ではどうやってこういった世界を拡大した意識で認識していけばいいのか、となります。
そのままあるがままとする。英語でいうとSee it as it isという感じでしょうか。この世界の出来事を幻想としてとらえる、という考え方もありますが、目に見えて起こっているように見えることなので、まずは明確にして、それ以上あれこれ分析せず、抵抗せず、あるがままそのままよしとして手放していく。季節が流れるように変化もあるね、と。いい時もあれば、悪い時もあるね、と。若い時もあれば、年も取っていくし、元気な時もそうでないときもあるよね、と。ネガティブなことだけではなく楽しいことやうれしいこともそのままを受け入れられればいい。美しいものは美しいし、愛しいものは愛しい。こうやって、見える世界や自分自身の状況を一喜一憂なくありのままを捉え、許すことができた瞬間に、すべてを含み超えた永遠の安心の中にいて、そして、すべてを含み超えた本質のわたしに気づくことができる。。。この世界には自分の求めているものはないけれど、この世界を通して気づき、目覚めがもたらされる。。。
精神的な学びというのは、とても神聖でパーソナルなものだと感じます。何が自分にとってわかりやすくて取り入れやすいか、実践しやすいかなどは、人それぞれで、また魂のたどってきた経験や学びによって出会うメソッドもタイミングもいろいろあるでしょう。自身にとってすとん、とくる考え方や方法を楽しみながら実践していけたらいいのではないかなと思っています。そしてその実践、アクション、体験を通して、さらにわたしたちを内なる平安へ導いてくれるのだと思います。
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