これもひとつの捉え方

この世は幻想である、ということをどこかで聞かれたことがある方もいらっしゃるかもしれません。そう思う、思わない、は別にして、もし、この世が幻想であったら?という内容で書いてみたいと思います。

わたしの頭の中をぐるぐるまわっているのは、「この世は幻想であるなら、そこから目覚めたいですか?それともその幻想(夢)の世界で眠ったままでいたいですか?」という質問。幻想の中にいて、ああしたい、こうしたい、こうやって過ごしたい、こんな風になりたい、いろいろあると思います。過ぎ去っていくといっても大きな幸せ小さな幸せも魅力的であるし、永遠でないとしても個々のアイデンティティやボディなどもとても大切でかけがえのないものと感じてしまう。。。

でも究極はわたしたちはスピリットであり、源からは一切離れていない完全で永遠なる存在。なぜスピリットであることを思い出さず、幻想の中で(完全からは程遠いその場所で)一喜一憂しながらいるのかな、と思うのですが、そこには計り知れない無意識の抵抗やマインドの状況に左右され自動的に反応してしまう、など理由はいろいろあるようです。

幻想というのは、何かとても大切なものと引き換えにもらった飴ちゃんのようなものかもしれません。(その例え。笑)その引き換えたものというのは、本質に通じるものであり、究極であり、本当は決して忘れてしまいたくないもの。小さな誘惑なんかと引き換えにできるほどちっぽけなものではないのです。引き換えたものは完全に忘れ去られてしまい、どんどん忘却の彼方へと押しやられてしまう。だから、そこから目覚めたいですか?なんて聞かれても、え?これが真実ではないの?と飴ちゃんを舐めながら思い、目覚めたらどうなるの?なんか怖そう。なんて感じるのも嘘ではないと思います。

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完全に本質を忘れてしまっている私たちができることは、その本質を忘れさせてしまっているものを取りのぞいていくこと。それは、幻想そのもののことであり、例えば、宇宙とか次元とかそういう一見膨大なものも全部含めて。

この世にある見えるもの見えないもの、永遠ではないということからすると、実体のないもの、ということになります。源(神、おおもと、など言葉はいろいろあると思います)以外はすべて幻。そしてこの幻、という部分、そう、夢なのです。実際に起こっていない。ということは、わたしたちは今でも変わりなくスピリットであり、源からも何からも分離していない永遠の存在ということです。あれ?あれ?という感じですね。何も起こっていないけれど、起こっているように見えることを、解体していくのです。その間違った信念を許し手放していくのです。

ということで、今、目の前でできることをやっていきましょう。もしこの世が幻想ならわたしはその夢から目覚めたいと思います。そのために日々の出来事などを通して、また自身に対して、ひとつひとつ幻想を見抜き、取り除きもとに戻していきたいと思います。フラワーエッセンスもこの気づきと目覚めへの手段のひとつになってくれています。フラワーエッセンスにサポートしてもらうことを受け入れて、無意識も含めた様々な領域、次元を明け渡していくことで、個々の頑ななマインドにコントロールされることを極力さけることができるように思います。幻想を使って幻想を解き放つ。夢を見つづけ幻想を作り上げているこのわたしたちのマインドも解体されてゆき、そして、その瞬間瞬間、気づきと目覚めは起こり、雲の隙間から届く一筋の光に気づいていけるようになるのです。


Essence of Life

Flower & Vibrational Essence *uncover your inner serene* 本質への気づきと目覚め

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