As a whole 全体として

前回の記事に、スペースをもって(一歩はなれて)とらえることが難しい個人的な例について書かせていただきました。日々暮らしながら振り返ってみると、こういったことはぽつぽつとあるのです。それでもその対象や出来事と一体化してしまったり感情に取り込まれてしまうことはずいぶん減り、気づきと共に手放していく経験もしています。そしてひっかかるならアクションを起こすという心がけも。これはかなりの時間節約?になる気がします。何にひっかかるのか、ということは個々人のバックグラウンドや辿ってきた道によってそれぞれ違うと思いますが、どんな出来事や対象であれ、気になるのは自分自身です。出来事よりも、そこにひっかかる自分自身に一度目を向けてみるのはいいアイデアかもしれません。

個人的にひっかかることは、最近では戦争。権力者による横暴(政治なども)。動物虐待や自然破壊的なこと。それから、モラルを守らない人間(自身の犬の糞を拾わずにそのままにしているとか、ごみを捨てたり公共の場を平気で汚したり壊したりする人)。そこでなぜこういったことが気になるのか自身を見つめてみると、まず、そのひっかかる出来事を起こす対象と自分自身とをきっぱり分けて捉えているのがわかります。わたしと誰か。その誰かは何かを傷つけたり破壊したり自分勝手であり本当に最低である、何故だ、信じられない、と。また戦争などは明らかに得体の知れない恐怖、肉体に関わる恐怖も見えてきます。戦争を実際に体験したことはなくても、生きてきた中でいろんな情報やビジョンを記憶に残していますし、なにより、心の底から「何故」という憤りと疑問がわいてきます。

ここでわたしができることは、ある程度の状況を把握しながらも、感情に飲み込まれることなく、そして自分とは全く関係ないと切り離してしまうのではなく、完全に囚われることなく、ただ真のゆるしを実践し(True forgiveness 真のゆるしに関しては別の記事で書いております)、できるアクションを起こしていくことなのだろうな、と、いつもここに戻ってくるのです。一瞬囚われたとしても、深呼吸をして、一歩離れてそんな自分を観察し、Okayとしながら次に進むというように。。。その繰り返しです。ですがこの深呼吸、この気づき、このスペース、そしてこの繰り返しのチャレンジがとても大きな前進になっていることに気づきます。ひと呼吸をおくことで「今ここ」にフォーカスすることができ、がちがちの囚われから一瞬で解放されます。そして最終的にはわたし自身も、それにまつわる状況や出来事、対象も、すべてそのままをそのままにしておく。。。それが本質ではないと見抜きながら。もしそれができないと感じたら、そう感じるわたし自身もまるごとOkayとしてみます。もう無理です、と降参してすべてを光に差し出す勇気も必要かもしれません。そしてこういった一連のアクションにフラワー及びヴァイブレーショナルメディスンも大きなサポートになります。エネルギー体に残っている必要のないものをとりのぞいたり調和を取り戻していきます。


Gary Renard氏の本を何冊か読みましたが、その中でわたしがとても好きな言葉があります。

You are Spirit. Whole and Innocent. All is Forgiven and Released.

(あなたはスピリット。全体であり純粋。すべてはゆるされ解放される)


そして心の中でいつもUncle Jとして慕っているアセンデットマスターJesus Christ が伝えたとされるのメッセージも。

Forgive them for they know not what they do.

(ゆるしなさい。彼らは何をしているのかわかっていないのだから)


わたしたちは多次元的存在であるといわれています。(フラワーエッセンスはこの原理のひとつに基づいて行われているセラピーでもあります)そうすると高次元の存在も、結局のところは、わたしであるということになります。ということは粒子の一つ一つのように分離して見える個々人も究極には全体として共有し、つながっているということになります。あなたとわたし、わたしと高次元の存在、という風に分離している状態に見えますが、究極には分離はなく、「個々」それぞれが「全体」としての属性を携えた、ただ「ある」という、「いのちの輝きそのもの」「本質そのもの」(言葉で表現するのは限界がありますね)になるのではとイメージができるのです。そしてここには例外(対象外)はないという。。。どの粒子も全体の一部であり切り離すことはできないと。

それを知った時点で、愛と忍耐と優しさをもって自身や個々人のエゴを真のゆるしとともに解放していくしかないなあ、としみじみ感じます。全体としての属性を携えた粒子の一つ一つ。それら粒子の一つ一つは全体として、いのちの輝きそのものとして、ただ「ある」。究極には思考によってそれを証明することはできないのでしょうけれど、『そういうことなのかもしれないな』となんとなくでも自身の直感が感じるままに、でよいかなと思っています。

Essence of Life

Flower & Vibrational Essence *uncover your inner serene* 本質への気づきと目覚め

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