リラックスして

年が明けてもう1月も末になりました。去年末から今年にかけて、この冬は長引く風邪または体調不良を体験しました(しみじみ)。やっとすっきりし始めると、日々の暮らしの中の些細なこと、食べられること、動けること、笑顔でいられること、本当に小さなことなのですが、その当たり前がうれしいと感じられ、安堵というか「ああ、この感覚を忘れないでいたい」と思ったのでした。当たり前と思っていたことは当たり前ではない、という気づき。いつも感謝の気持ちをもっていたいと思います。

体調が復活していつものように森に歩きに行くのですが、夫と二人で森を歩くときは時はいつも科学のこと(例えば波動や宇宙の話)や、目に見えないこと(例えば自然界の存在や精神的な話)を話します。いつも自然とそうなります。夫はサイエンティストですが、不思議な話や目に見えないことは、根拠や実証がなくても、「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」というスタンスをとってくれます。「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」という考え方はわたしも好きです。彼の思う素晴らしいサイエンティストというのは、科学者自身が生み出したセオリーでさえ、それを「どうぞ覆してください」というスタンスをもっていて、これがすべてであるとは断定しないのだそう。あるセオリーが何年後、何十年後、何百年後に覆されたりすることもありますものね。。。最近は、情報や事柄がいかにも真実であるかのように語られていたり、断定的で、他を受け入れない感じ、思い込みが強いものも多いな、と感じたりします。何が本当なのかは、誰にもわからないのです。目に見えること見えないこと、科学的な実証があることもないことも、究極にはすべて同じレベル(の幻想)というか。。。

「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」

実際のところ人間は今も宇宙や身体のしくみもわかっているようでわかっていなかったり、ましてや自身の本質などわかっていないことのほうがほとんどかもしれないなあと思うのです。煙幕で自らを見えなくしている、そんな風なイメージもできます。そんな中にいても、ほんのりと見える一点の光を目指しながら、経験を重ね歩み、いろいろ試したり、チャレンジしたり、発見したり、腑に落ちたりして、、、もしかしたらそうなのかもしれないな、という感じを得られるのだろうと。だからといって、その経験で得られたものがすべてでもなく、いつでも変化は可能であるし、自由。毎度毎度「それは本当?」と、思い込みでがちがちになったものや思考をほどいていく作業でもあるのでしょうか。。。周りで起こる事象に対してそういうスタンスでありながら、自身の本質も同時に見抜いていきたいなと思うのです。ほんのりと見える一点の光を感じながら。リラックスして♪


Essence of Life

Flower & Vibrational Essence *uncover your inner serene* 本質への気づきと目覚め

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