3月


3月になり、こちらイギリスでも太陽の光が暖かく感じる日が増えてきました。空も青いと、なんとなく、気分も明るくなり、すべてうまくいく、と感じてしまうのは、気のせいでしょうか。といっても、そんな日ばかりではなく、様々なことがきっかけで、どーんと落ちてしまったり、どんより重くなったり。。。わたしもまだまだそんな体験をしながら、学んでいる日々です。

最近では、ある社会情勢を知ったことをきっかけに、久しぶりにどーんと重く、暗くなりました。本当に重いものを感じるほど、動けなくなりました。わたしは普段ほぼニュースを見ていません。その理由は、何かに対しての何かの情報が、発信元によって内容が大きく変わってくる、と感じることがあり、またニュース以外でも、発信されている情報というのは、その発信元や人々がどのような考え方であるのか、どのような捉え方をしているのか、またおかれている立ち位置などによって、まったく違うものになっていると感じたからです。今まで情報を得るために自分なりにいろいろサーチしていた時期もありましたので、ひとつのものごとに関してのあまりにも様々な違う内容に、「もう、何か本当なのかわからん」と感じ、極力ニュースにのめりこまないようにし、またいろいろ発信されている情報などに対してもニュートラルな目線でいるように心がけています。

そんな風にしていても、どうしても伝わる情報もあり、「え?そんなことがあったの?」とずーんときたり、引っかかったり。ひっかかる情報はやはりこれも個人個人によって、それぞれの考え方、捉え方や経験(過去生も含む)、置かれている位置などによっても違ってくると思います。今回、わたしがひっかかった情報を要約すると、『ゼレンスキー大統領がイギリスにやって来て、戦争のための支援を求め、それに対してイギリスの首相はOKと応え、とりあえずローンで軍需品は用意し、後に返金できるようになった時に返金してもらう』というような内容とか。(要約しすぎ!?笑)そしてチャールズ国王とハイティの時間もあった、とか。本当にうんざりした瞬間でした。今、自分が暮らしている国があからさまに戦争をサポートする国であると感じたからです。国が潤っていてお金も有り余っているならまだしも、お金もなく、国内のいろんなところに不具合が起こっているのにも関わらず。武器を提供するより他に何か方法はなかったのか?と一般市民の素人の頭では思ってしまうし、わたしがイギリス国民ではなく部外者であるからこう感じるのか、偏った考え方捉え方のためか、ただ戦争が終わることを真に望んでいるからか、とにかく、時間がとまったと感じるような、どんよりした気持ちになりました。それを伝えてくれた方は、このイギリスのやり方を心から良きことだと思っているので、わたしの「なんやて?」という態度にカチンと来たようですし、わたしも自分の立場に立っていたのでカチンときました。こんな小さなやり取りでさえ、それぞれの考え方や捉え方、経験を通しても含めて、衝突が起こるのです。。。

そんな感じで、すっきりしないまま寝たのですが、寝ながら朝方にメッセージのようなものが届きました。声というか、画像というか、考え方?みたいなものがぱっと届くという感じです。それによると、『問題は外側ではない。外側は関係ない、真は、自分の内側にある』という感じの内容。インパクトがあったので覚えていますが、そのメッセージをきっかけに、外側に応えを求めるのをやめて、内側に向かうことにしました。何かや誰かや状況を嫌う、ということを思ったとき、自分の中には何があるのだろうと。というか、いい加減、本当にこれ(自分の内側に戻ってくる方法)いつもやっているつもりでしたが『またできてなかったやん!』笑 いつもそんな繰り返しです。すぐできること、時間がかかること、あるでしょうけれど、それでも最終的には戻ってきたいなと思っています。

わたしが好きでよく読んでいる本の著者Gary Renard氏がいうには、原因は分離思考にあると。わたしたちは自分と誰かをSeparate分離して捉えているからだといいます。すべてはひとつであり、神であり、愛であり、それ以外は存在しない、それが揺るがない真実ではあるけれど、わたしたちのエゴはそのようには考えず、わたしたちは神から分離した個々の存在であると考えています。(実際にはそれは起こっていなくても、それが起こったという夢の中でそれを体験しているという状態。夢を見ている状態。)

そうであるから、一番には夢から覚めることが必要になってくるのですが、夢から徐々に覚めるには、まずはひとつひとつのエゴをUndo解体していく必要があり、そのやり方としてForgiveness真のゆるし、が必要になってきます。目の前で起こっていることを、ただただ、その見えているものをそれ以上、エゴが喜ぶようなガチガチのものにしてしまうことなく、逆にゆるして解体していくという。外側で起こっているあれこれをゆるして解体していく心の使い方が必要なのですね。一歩を踏み出して、または一歩離れて、それができたとき、重かったものは確実になくなり、Flow流れのようなものができるのも感じられます。

こんなことを書きながら、今思うのは、ニュースや嫌なことを見ないでいるのは一種の逃げや抵抗のようなものだったのかもしれませんね。本当はどんな外側を見たとしても、それをただあるがまま、真実としてとらえることなく、軽やかにいることができるはずなので。。。外側にある何かに嫌悪感を感じたら、自分の中の何がそう思わせているのか、そのように見せているのか、感じさせているのかを見つめてみるのもひとつの方法かもしれません。見つめたらただゆるして手放していくだけなのですが。大きな気づき、になりました。

PS. 久しぶりに日本語の音を聴いて、ホッとしました。内側からじんわり溶けていくような響き。。。イギリスでもうすぐ彼女のコンサートがあるのですね。


Essence of Life

Flower & Vibrational Essence *uncover your inner serene* 本質への気づきと目覚め

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